【田村造酢株式会社 求人特集】社長に会社や経営の思い、従業員に対する考え方などを取材させていただきました。

この記事の目次

本記事はかつらぎ町で200年以上の歴史を持つ、田村造酢株式会社の田村社長に

  • どんな会社で、どのような商品を作っているのか
  • 社長になった経緯
  • 会社に対しての思い
  • 従業員に対する考え方(給与や福利厚生、休みのあり方など)

をインタビューさせていただきました。
ぜひご覧ください。

登場人物

社長:田村 佑樹(たむら ゆうき)

取材:吉田 崇弘(よしだ たかひろ)

「田村社長の自己紹介」について教えて下さい

吉田記者
よろしくお願いします。まず、お名前と年齢、趣味などがあれば教えてください。
田村 社長
田村造酢株式会社の代表取締役、田村佑樹といいます。年齢は今39歳で、来月で40歳ぴったりになります。
趣味は車の運転と、子どもたちと過ごす時間ですね。あとは、ちょっとしたタイミングで見るアニメなどです。
吉田記者
お子さんもいらっしゃるんですね。ありがとうございます。

「会社の事業内容と歴史」について教えて下さい

吉田記者
御社はどんな事業をされている会社でしょうか。
田村 社長
今はお酢の製造をしています。
会社の歴史は古くて、300年前は鍋屋として金物屋をしていたんですけれども、200年前からはお酢一本で今まで来ています。
吉田記者
どうして鍋屋さんからお酢を作る会社に変わられたのですか。
田村 社長
正確なことは伝わっていないんですが、金物屋をしていた時に鍋があって、その鍋を使って酒粕のお酢をやり始めたのがきっかけだそうです。
「こっちの方がいいんじゃないか」みたいな形になって、お酢の会社になったというふうに伝えられています。

「商品とサービスの内容」について教えて下さい

吉田記者
御社の実際の商品やサービスを教えていただけますか。
田村 社長
商品としては、米のお酢、酒粕を使った穀物酢、ポン酢があります。
そして今のメイン商材が柿酢、果物の柿を使ったお酢です。
ただ、私たちが本当にお届けしたいものは、商品そのものではなくて「シーン」「場面」なんです。
商品を使った彩りある場面、お客様の健康、楽しさ、そういう彩りある生活を届けたいというのが、私たちの本当の価値です。商品はそのためのツールとして活用していくということですね。
今後はお酢に限らず、そういうツールを増やしていって、お客様にそのシーンや健康を届けたい。それが私たちの本当の商品だと思っています。

「柿酢が生まれた経緯」について教えて下さい

吉田記者
柿酢ってちょっと珍しいなと思ったんですが、なぜ柿を使ったお酢を作られたんですか。
田村 社長
最初のきっかけは、私の先々代の祖父の時代にさかのぼります。
戦中戦後の食料難の時期に米がなくなったんです。米がなくなると、米のお酢ができない。日本酒もできないし、酒粕もできない。つまり、私たちのお酢が作れなくなってしまったんですね。
その時にこの辺は、もともと柿の名産地だったので、米に代わる原料として柿が使えるかという話になって作り始めました。
ただ、米は穀物、柿は果物なので組成が違って、作るノウハウも違うんです。私はお酢のプロなのである程度のものはできますが、お客様に満足して喜んでもらえるものができたかと言われると、当時は疑問が残るところでした。
なので、米の流通が再開したタイミングで一回やめました。応急処置という形ですね。
それから40年近く前に、先代の章弘、私の父が大学院で発酵を勉強して帰ってきたタイミングで、ちょうどJA(この辺の農協)から声がかかりました。
「名産品であるがゆえに、廃棄が多い。捨てないといけないと農家さんに還元できない。少しでも価値を出したいので、規格外品の有効活用としてもう一回柿酢にチャレンジしてくれ」という依頼でした。
地域のために、私たちが規格外の柿を買うことで価値が出て、それが農家さんに還元されていく。父は発酵を勉強してきたので、作るからには徹底した品質のものを作ろうという思いから、今の柿酢が生まれました。
吉田記者
応急処置として作られた柿酢を、JAさんからもう一度しっかり商品として売ってくれないかと言われて、今の商品に至っているんですね。ありがとうございます。

「ライバルや競合となる会社」について教えて下さい

吉田記者
田村造酢のライバルや競合となる会社はどういう会社がありますか。
田村 社長
和歌山県内ではお酢を作っている個人の会社というと、ライバルらしいライバルはほとんどいません。
何か所かはあるんですが、一社は海外展開がメインで、もう一社は梅酒がメインだったりします。
ただ、私たちがいつも言っているのは「打倒ミツカン」です。最近特に思うのが、盛心塾を通して、稲盛塾長が「原町一、京都一、日本一、世界一」とおっしゃるじゃないですか。
やっぱり目標は高くあるべきだなと思って、初心に帰って「ライバルはミツカンだ」と言えるくらいまで成長していきたいなと思っています。

盛心塾とは?

田村社長が学んでいる盛心塾とは、京セラ創業者の稲盛和夫氏の経営哲学・人生哲学(フィロソフィ)を学ぶ、経営者を中心とした自主勉強会です。2019年に閉塾した「盛和塾」の和歌山地区の精神を引き継ぎ、会員相互の研鑽や交流を通じて、経営者の心を高め、会社を発展させることを目的としています。


「会社の強みや他社との違い」について教えて下さい

吉田記者
打倒ミツカンを目指す中で、ここはうちが強い、こだわっているという違いはありますか。
田村 社長
「打倒」は言い過ぎました、競えるくらいまでですね。
売上規模では当然かないませんが、何で勝つかと言ったらやっぱり商品価値です。
私たちはお酢を作る業界として、200年培われてきた伝統技術を持って作っているので、品質はどこにも負けない。
大手は供給責任があって全国の家庭の味を支えていますが、私たちはそうじゃなくて、規模の小さい産業で、お客様に喜んでほしいからこそできる手間のかけ方をしています。そこが大きな違いです。
吉田記者
その強みの秘訣は、こだわって、一人のお客様にしっかり美味しいものを届けるところにあるんですかね。
田村 社長
大前提として基礎知識ですね。
父と母は2人とも広島大学で発酵を学んでいて、私の兄と弟は東京農業大学の醸造学部です。醸造とは、発酵を利用したものを作ることなんですね。
発酵に関する基礎知識がある前提のもと、その技術を活用してお客様に良いものを届ける、そういったところです。

「先代から受け継がれてきた技術」について教えて下さい

吉田記者
田村社長は、小さい頃からお酢に触れる機会が多かったんですか。
田村 社長
「手伝え」と言われたら手伝うという感じで、進んでやっていたわけではなかったですね。
「ここをかき混ぜて」と言われても、何のためにかき混ぜているか分からないままやっていました。お酢の作り方を全部説明できるかというと、当時はまったくできなかったです。
吉田記者
今のような強みは、先代の方ももともとお持ちだったんですか。
田村 社長
それ以前はなかったです。祖父の時代は専門知識がなく、本当に昔ながらの作り方しか継承されていませんでした。
実は父の時代に大学で学んだことで、製造工程を変えているんです。めちゃくちゃ変えています。
今のクオリティ、どこに出しても恥ずかしくないお酢になったのは、正直父からですね。
吉田記者
それはどのように変わったんでしょうか。
田村 社長
簡単に言うと、本来昔からのお酢作りでは、酢酸菌が残った液を次のお酢を作る時にバシャンと入れて生やしていました。
「蔵付き菌」という言葉があるように、蔵にいる菌で蔵の味ができ上がるんです。それは私の先々代までしていたやり方なんですけど、もっと品質を向上させて安定させようとなった時に、菌を培養して1種類の菌だけで酢酸発酵を行う方法に変えたんです。
例えるなら、酢酸菌っていっても全部同じではなく、人間と同じです。
同じ両親から生まれた三兄弟でも全員違うように、菌一つひとつにも個性があります。汗の分泌量や食べる量、吸収効率が違うように、菌も違うんです。だから酢酸菌によって味が違ってきます。
蔵付き菌だと、どの菌がどれだけ入るか分からないので味の違いが出やすい。けれども1種類の菌しか使わなければ、毎年同じ味、いい品質のものが担保できるわけです。
吉田記者
不純物が少ないということですよね。ありがとうございます。

「社長就任前の経歴」について教えて下さい

吉田記者
田村社長になられたのは何年前でしょうか。
田村 社長
去年の11月です。会社に帰って9年ですけど、その前は香川の高松にある自然免疫系の会社で3年間修行していました。
大学で研究されてきたものを社会のために使おうというところで創業された会社で、私の父の同級生が経営されていたんです。そこの会社に「3年修行させてほしい」と言って行きました。
吉田記者
それは考え方を学ぼうという意味だったんですか。
田村 社長
先代の父の考え方で、「他人の釜の飯を食え。社会にちゃんと出て、酸いも甘いも社会を知ってきてから会社に帰ってこい」という社会勉強でした。
実は私は大学院に進学していたんですが、卒業できない事情があって就職が不意になり、一度実家に帰ったんです。
その後、父が修行先候補をいくつか挙げてくれた中から、私自身が一番自分にとって難しいところを選びました。それが香川の高松にある自然免疫系の会社です。
他のところは父の顔があるのでお客さんタイプで仕事をすることになって意味がない。一番厳しいところに行かないと社会勉強の意味がないと思ったんです。

「社長になった経緯」について教えて下さい

吉田記者
田村社長は、もともと社長になりたいという思いはあったんでしょうか。
田村 社長
「なりたい」というか、「なるしかないな」という感じですね。
本当は継ぐつもりはなかったんですよ。3兄弟みんな継ぐ気でいたんですが、今の会社規模で3家庭になったら規模に合わないなと思って、高校生の時に「家を出よう」って決めていたんです。
ところが、忘れもしないです。3年生の8月くらいに兄から電話があって、「俺継がんから、お前継いでくれ」と言われて。私は剣道しかしてこなかったので、推薦で防衛大学に行こうかと思っていたんですけど、「分かった」と言って結局浪人して勉強し直して、大学に入りました。
結果論ですが、結局私しか社長を担える人材がいなかったので、それが結果的に良かったかなって。
吉田記者
そうしたきっかけがあって、社長になることになったんですね。
田村 社長
会社に戻って2、3年目から、ほぼ私が現場を回しています。
3、4年前に父が病気を患って、そこからほぼ私がやっている状態でした。ただ、父はいろいろできて頼りになる存在なので、自分の中で心が決めきれなかった。「自分が本当にやっていけるのかな」と。
そんな中で盛心塾に出会って、「このままじゃダメやな」となった中で、去年11月に変わろうとなったタイミングで、「よっしゃ、やったろ」っていう思いしかなかったんです。
「なって大丈夫かな」っていう不安はなかったので、ちょうどいいタイミングだったんじゃないかなと。

「価値観の変化」について教えて下さい

吉田記者
田村社長は、盛心塾でどのように考え方が変わっていったんでしょうか。
田村 社長
今の言葉で言うなら、本当に自分のためという考え方だったなって思います。「自分たちのために売上を上げたい」という感覚でした。
一昨年は売上が伸び悩んで、「とりあえず何とかしないといけない」「自分たちの売上で何とかしないと」というところで動いていたんですが、結果何にもつながらなかったんです。
周りからも「一緒にやろう」と目をかけてくれる人は出てこなかった。
去年からはそういった考え方を学んで、自分たちの正しい思いを、会社や従業員のためには大前提として、社会のために何をしたいのかという思いを正しい言葉で正しい人たちに発信していくと、自然とそういう方々が集まってきてくれることに気づきました。
そこに何があったのかというのは、結局「人のため(利他)」のことなんです。稲盛和夫さんがおっしゃっていた「社会のために、人のために何ができるのか、何をするのか」というところを突き詰めていったのが、この一年だったかもしれません。

「社長業について」について教えて下さい

吉田記者
社長業はとても大変なイメージがあるんですが、田村社長になる前と後でイメージは変わりましたか。
田村 社長
何も変わってないですね。前から現場を回していたので、責任感が増したぐらいです。
吉田記者
その責任感とは、どういった責任感ですか。
田村 社長
会社を潰すも発展させるも社長の判断です。ということは、正しい考え方を持たないといけない、勉強しないといけない。
「正しいこと」を説明せいと言われたら、説明できる人はいないと思うんですよ。やっぱりちゃんと正しいことをするというのを自問自答して、「これが本当に正しいのか、人のためになっているのか」と考える。
それが結果として会社を良くする悪くするにつながってくる。それが責任ですよ。

「社長就任後で一番大変だった時期」について教えて下さい

吉田記者
田村社長になってから今までで、一番大変だった時期はどういう時期がありますか。
田村 社長
ここ数年で言えば、弟との関係性で距離ができていた時期ですね。
数年前、会社を良くしたい思いでホームページを作り変えたんですが、その時にブログ機能をホームページに盛り込んだんです。それまで弟は8、9年、別にブログをやっていたんですよ。
私がそれをやめてホームページに統合したことで、弟は「8、9年もしてきたのに」という気持ちになって、そこから2、3年ほどほとんど会話のない状態が続いたんです。
家族の場面でも会話が減って、私も「こいつ会社のことより、自分のプライドややりたいことが優先か」と思って、「もうええわ」となってしまった。
ただ、その翌年さらに売上が伸び悩んで、去年から「いよいよ何とかしないと」となった時に、第三者に入ってもらって、一緒に経営理念作り(パーパス作り)を進めたんです。
経営理念を考えていく中で、だんだん2人で折り合いがつくようになって、今ではこの一年かけて普通に話せるようになっています。
吉田記者
弟さんとの距離があった時期が、田村社長にとって一番大変だったということですね。
田村 社長
一番辛かった時期でもありますね。

「経営理念作りについて」について教えて下さい

吉田記者
田村社長は、なぜ経営理念を作ることが必要だと思ったんですか。
田村 社長
これは、同じ盛和塾生の方に教わったことなんですけど、「考え方×熱意×能力」という考えがあって。
考え方が合っていないと、例えば従業員5人が、1人は北、1人は南、1人は東、1人は西を向いていたら、会社として何をしているか分かりませんよね。
会社を人として例えるなら、理念や考え方は会社の人格になるわけです。それまで会社が伸び悩んでいたのは、理念がなかったからこそ方向性が定まっていなかった結果、私がすることと弟がすることがバラバラだったんです。
理念を定めて二人で同じ方向に向かえば、掛け算になって良くなるじゃないですか。掛け算を学んだので、まずは理念作りからと。
吉田記者
弟さんとはどういう考えで一致したんですか。
田村 社長
「お客様に健康と食育を届けたい」という思いで一致しました。
弟は地域を回っていて、お客様の生の声を聞いていて、「家庭に調味料がない」家庭が増えてきている現状を知っていたんです。
家庭に調味料がないことは、おふくろの味、地域の味、例えば「地元かつらぎの味」、そういったものがなくなっていくという危機感につながります。そういったものが大事だよねと二人で一致しました。
その上で「健康で美味しい」ことが大事。健康で美味しくないと食育もへったくれもない。そのためのものを作ろう、その手段として私たちが好転できるものを作ろう、と。
最初に申し上げたように、柿酢などはツールで、私たちはめちゃくちゃいいものを作っている自信はありますけど、お客様にとってはその先が価値ですから。
吉田記者
意見がすり合わさるまでにどれくらいの期間がかかったんですか。
田村 社長
理念を作る上ではめちゃくちゃ短くて、2、3ヶ月くらいですね。
第三者に入ってもらったのが大きかったです。兄弟だからこそ本音をぶつけ合うのが恥ずかしくて、第三者に話す形でお互いに相手の思いを知れた。
その時は、かつらぎ町の商工会の専門家派遣(補助金)を活用しました。最初は弟もあまり乗り気ではなかったんですが、2回目から前向きに参加してくれて、サクサクと進みました。

「実際の仕事内容」について教えて下さい

吉田記者
御社のことを知らない求職者の方に向けて、お仕事の全体的な内容を教えていただけますか。
田村 社長
大きく分けると「作る」と「売る」の2つです。
私たちはお酢を作るプロなので、こだわりはめちゃくちゃあります。物が悪かったらお客様に何かを届けるなんて、大それたこと言えないわけで、それを言えるのは商品に自信があるからです。
吉田記者
お酢が作られて、お客様に届くまでの流れと、それぞれの役割を教えていただけますか。
田村 社長
味を決めるメインの製造は私が一人で担当していて、弟は梱包などの作業をメインにしています。
商品の流れとしては、一つは問屋さん(仲卸)に卸して、そこからAmazonや小売店、スーパー、個人商店などに広がっていくルート。
もう一つは私たちが直接お客様にお届けするルートで、通販や電話注文、物産展(デパートで開催される北海道物産展のようなもの)などです。

「仕事に必要な能力やスキル」について教えて下さい

吉田記者
それぞれのお仕事に必要な能力やスキルはあったりするんですか。
田村 社長
能力やスキルは特に必要ないと思います。仕事をしていく中で身につくものなので。
本当に大事な素養は、やっぱり「素直さ」と「謙虚さ」で、それがあればどんな仕事についてもいけると思うんですよ。
スキルが必要な場面があってもそれは付属品でしかないので、「吸収しよう」「吸収したいな」という素直さで、教えられたことを素直に受け止める土壌、それが一番大事です。
吉田記者
能力やスキルは、どうやって覚えていくと思いますか。
田村 社長
それは「疑問を持つこと」です。
素直さの一つには、疑問を持つことも含まれます。子どもは2、3歳の頃に「なんでなんで」と何度でも聞きますよね。「これ何?」と分かっていても聞く。
素直に「これなんやろ」と思ったことを聞くんです。疑問を持つって何が大事かというと、学びたい意欲なんですよ。「なんでこういう作業をするんだ」「なんでこういう風にしているんだろう」という。
それがスキルアップに対して一番大事なことじゃないかなと思います。

「仕事を覚える期間とサポート体制」について教えて下さい

吉田記者
仕事を覚えるのには、実際にはどれくらいの期間がかかると思いますか。
田村 社長
覚えるだけだったら1、2年あれば余裕です。
ただ仕込みは年に1回しかないので、チャンスは1回しかありません。私は1回で覚えました。
いろいろ聞いてメモして実践したからです。今でも分かっていても毎回メモをチェックします。そこに勘違いや思い込みが入っている可能性があるので。
私は2年目くらいから父はほぼ確認に来るくらいで、3年目からはほぼ来なかった。毎回チェックして写真を撮って、メモにも「いついつのこの写真をチェックしろ」と書いています。
生き物相手なので毎回まったく同じものができるかは別ですが、メモを残していくのは難しいことではないですね。
吉田記者
最初はどんな方がサポートしてくれるんですか。
田村 社長
誰というのは決まっていないです。その場でできる人が一緒にやる感じです。
「やってみせ、やらせてみせ、褒めてやらねば人は育たじ」というのがあるじゃないですか。やり方を見せて、次にやらせてみて、できたら褒める。
例えば1から10で1しかできなくても「なんで2から10ができないんだ」じゃなくて、「一応できたね」と褒めてあげる。
チームとして一緒にやっていくので、担当はないんです。その場に入って一緒にやっていく感じですね。
吉田記者
業界の知識や経験がない方でも問題はないですか。
田村 社長
全然問題ないです。むしろ知識を持っている方の方が固定概念があって、合致しないと難しい場合もあります。
一番はスキルどうこうじゃなくて人間性ですから。素直な心で、ちゃんと吸収してくれる人。みんなゼロからですから、当たり前の話ですけど。

「仕事に向いている人」について教えて下さい

吉田記者
御社の仕事に向いている人はどんな人だと思いますか。
田村 社長
素直なのもそうですけど、やっぱり「喜びを分かち合える」ことが大事だと思うんですよ。
商品を自分たちが作って、お客様から「喜んでくれてよかった」と声が届くと、みんな気持ちいいですよね。次の事業の意欲にもなります。「あのお客さんも喜んでくれたから、もっといいものを作ろう」って。
お客様から喜んだ声をもらったのを社内に早く持ち帰って、みんなにしゃべりたくなるじゃないですか。社内がすごくいい雰囲気になるんですね。「お客様のためにまた頑張ろう」というモチベーションになる。
だからやっぱり喜びを分かち合うのは大事です。自分だけが持ち帰っていい気持ちになるんじゃなくて、みんなでその一言で会社全体が盛り上がるわけですから。

「向いていない方や辞めた方」について教えて下さい

吉田記者
逆に向いていない人や、辞めてしまった方はどんな方でしょうか。
田村 社長
辞めた方は、私が会社に戻ってからはいないんですよ。今は家族経営なので。
それまでいた従業員は、より条件のいいところがあったから、という金銭的な理由で辞める方が多かったですね。
合わないとなると、利己的、「自分が良かったらいいやん」という考え方をする人はやっぱり合わないかなと思います。
吉田記者
辞める方を、田村社長はどう思われましたか。
田村 社長
金銭的な理由がメインだったので、別に思うことはないですね。
以前80歳過ぎまで勤めてくれた先々代の代の従業員さんがいて、家族のような付き合いをしていたので、「金銭的に厳しいから転職を考えている」と相談があった時に、先々代が「退職金を先払いするよ」と何百万円(50年前の何百万円って相当な金額ですけど)払ったというエピソードもあります。
それくらい従業員を大事にしてきた会社です。喧嘩別れみたいになった人は、一人もいないと思います。

「会社の雰囲気」について教えて下さい

吉田記者
田村社長は、これからどんな会社の雰囲気にしたいですか。理想があれば教えてください。
田村 社長
理想は「本音で話し合える」雰囲気ですね。
建前も大事ですけど、少なくとも会社の中では本音で話し合うことが大事だと思うんですよ。素直に意見を言って、それをちゃんと汲み取る土壌を作る。
間違っていたとしてもちゃんと話を聞いた上で「こうだと思うよ」と発信する。考え方が間違っていれば「それは違うよ」と言える土壌、なかなか難しいですが、目指していきたいです。
吉田記者
なぜ本音で話し合うことが大切だと思われるんですか。
田村 社長
本音で話さないと不満を腹に抱えて、よそで愚痴を言うようになる。会社外で愚痴を言うのも良くないですよね。
「ここの従業員が会社の愚痴ばかり言ってる、この会社大丈夫かいな」となる。会社内でちゃんと意見として言えればそれが出ない。
新しく入った社員の前で社長の愚痴を言われたら、会社のイメージにもつながりますから。
吉田記者
実際に御社はどんな雰囲気の会社ですか。
田村 社長
今は本当に家庭の延長というか、家族経営に近い雰囲気です。今後はより組織として整えていきたいと思っています。
私はもともと「関わったからにはみんなで良くなりたい」というタイプで、ズカズカと相手のところに入っていく方なんです。
自分の中の課題は、相手によく見られたいという気持ちが働いてしまうところです。これからは「いけないところはいけないよ」とちゃんと言える人になりたい。
子どもを叱るときと同じで、ちゃんと叱って、その後にフォローして、子どもの心を温める。従業員に対してもちゃんとした人間関係の土壌を作った上で、いけないところは叱り、それ以外では親しく接していく、そんな形にしていきたいです。
吉田記者
逆に、こんな雰囲気は嫌だなと思うことはありますか。
田村 社長
愚痴がはびこる空気ですね。
愚痴は共感を生みやすくて、コミュニケーションだと勘違いする人が多い。同士が生まれて愚痴の言い合いになる、負の感情のスパイラルは避けたい。
そうじゃなくて、相手の悪いところがあったらちゃんと正していけるような、まっとうな意見を言い合える関係を作りたいです。
吉田記者
田村社長が、良好な雰囲気を維持するために意識していることはありますか。
田村 社長
人が愚痴を言っていても、私は意識的にそこに混ざらないようにしています。むしろ時々割って入ってプラスな言葉を言うようにしています。
気づかないと人間って変わらないので、一石を投じて、ちょっとずつ改善していければと思っています。

「人間関係について」について教えて下さい

吉田記者
良好な人間関係を維持するために、どんな人が鍵になると思いますか。
田村 社長
素直な人って人当たりが良くて、みんなから好かれるので、その方を中心に回っていきます。「あの人、素直で話していて楽しいわ」となったら、その方に集まっていくわけです。
そういう人が中枢になっていくのかなって思います。
吉田記者
それはこれから会社をどのように守ることにつながると思いますか。
田村 社長
素直な人が知識を吸収して生かしてくれると、いい方向に回っていく。
私たちだけでは従業員さんに満足してもらえる利益を生むのは限界があります。従業員さんが頑張ってくれてこそ、十分な給料を払えるし会社を続けていける。
だから「会社を守る」よりまず「従業員を守る」が前提です。
吉田記者
従業員を守るとは、具体的にどういうことだと思いますか。
田村 社長
金銭面と「物心」の面ですね。物はお金、心は働きやすさです。
盛心塾の先輩に言われて、「確かに!」と思ったのは、「1週間のうち起きている時間の大半は仕事をしている時間じゃないですか」と。その時間が楽しくなかったら心は消耗していく。
逆に楽しかったら、どんなに体が疲れていても充実している。今している仕事がお客様のどういう喜びにつながっているのかを感じたとき、喜びになる。
心を充実させながら十分な給料を支払えるようになっていく、それが従業員のモチベーションを上げ、好循環を生み、結果として会社と従業員を守ることにつながっていきます。

「給与について」について教えて下さい

吉田記者
田村社長は、給与についてどんな考え方をお持ちですか。
田村 社長
以前は「頑張った分、その人の評価に反映する」のがいいと思っていました。
ただ今は、その人が頑張って、その人だけの給与を上げるのは違うなと。会社はワンチームなので、一人だけ上げると他の人がやる気を失ってしまう。結果が出ていない人もその人なりに頑張っているんですよ。
多少の差は出ます。例えば7%、3%、1%と差は出ると思いますが、その人が取ってくれた利益はその人だけに還元するのではなく、会社全体・従業員全員に還元していく。これをしないと会社は良い方向に進まないと思うんです。
吉田記者
それは従業員さんの利己的な考えを生み出すことに繋がるんですね。
田村 社長
「自分の成績だけ良ければいい」という考え方になっちゃう。
みんなで上がった方がいいよ、と。そしたら一番上がっている人も他の人のために行動する。それを盛心塾で教えてもらいました。
吉田記者
頑張れば給与が上がる明確なポイントはありますか。
田村 社長
今は売上ですね。売上が上がってこそ従業員さんに還元できる原資が生まれます。
その先は技術を一つ身につけたとか、お客様に喜んでもらえた結果が出たとか、新しい企画を成功させたとか、いろいろ評価軸が出てくると思います。
逆になかなか上がらないのは、努力の方向性がずれている人ですね。例えば私たちの業種と全く関係ない資格の勉強だけをしているような場合、当然給料は上がらない。会社に合った努力をすることが大切です。

「休みについて」について教えて下さい

吉田記者
田村社長は、従業員さんの休みについてどんな考え方をお持ちですか。
田村 社長
基本はカレンダー通りで、土日休みとお盆、年末年始休み、祝日休みです。
有給休暇については、これからしっかり整えていきたいと考えています。今は役員しかいないので有給はないんですが、従業員が増えれば考えないといけないことです。
吉田記者
家庭の事情で急に休まないといけない時はどう対応されますか。
田村 社長
当然休まないとダメです。育児や介護と仕事を両立したい方も、休まないといけないときは休んでもらうべきです。
実際、私自身も家庭の事情で休むこともあります。家庭が大変な時に休めないのは論外だと思います。なので、しっかり休んでもらう体制にしていきたいです。
吉田記者
そういう時は、気軽に話せる関係性が大事ですね。
田村 社長
それがやっぱり本音で話すってことですから。そこまでの人間関係を築くことが大事です。
「こいつが言っとるんやったら、しゃあない、休ませなあかんな」となる。普段のコミュニケーションでちゃんと親の状況なども共有できていれば、いざというとき自然に対応できる。
普段からのコミュニケーションが大事ですね。

「福利厚生について」について教えて下さい

吉田記者
今ある福利厚生の中で、田村社長が特に大事にしている部分はありますか。
田村 社長
今まで福利厚生を受けてこなかった立場なので、世の中にどんな福利厚生があるのかを学んでいるところで、これからしっかり勉強していきたい部分です。
ただ、社員旅行や会食などはコミュニケーションを深める業務の一環としてとても大事だと考えています。ワンチームで頑張るための行事ですね。
吉田記者
ワンチームの意識を持つためにも大事ですよね。
田村 社長
そうです、それはもちろん大事です。

「従業員を大切にするとは」について教えて下さい

吉田記者
田村社長にとって、従業員を大切にするとは、一言で言うとどういうことでしょうか。
田村 社長
一言は難しいですけど、従業員を守るというのは、会社を守ることにつながって、地域を守る、社会を守る、結局、日本を、世界を守ることにつながっていくと思うんですよ。
吉田記者
結果的に、地球全体を良くすることにつながると。
田村 社長
そういうことです。それを皆さんがすれば、結局、地域や世界全体を良くしていくことになっていくわけです。

「仕事のやりがい」について教えて下さい

吉田記者
御社の仕事はこんな人にとって意味がある仕事だ、というポイントを教えていただけますか。
田村 社長
今一番押し出したいのは、小さなお子様のいるご家庭への食育の発信です。
例えば私たちがレシピを発信して、それをお客様が見て「今日の献立、これにしよう」と参考にしてもらえるだけで嬉しい。お客様から「健康になったよ」という言葉を聞くのが一番嬉しいので、もっと発信していきたいなと思っています。
吉田記者
田村社長は、お客さんが健康になって、なぜ嬉しいんですか。
田村 社長
私たちの目指しているもの(パーパス)に合うからです。
お客様から「柿酢を使っていて健康になったよ。例えば血圧の下げる薬を飲まなくなって」っていう言葉をもらった時、すごく嬉しかったんです。「やっぱりそこに喜びを見出せるんだな」と気づきました。
吉田記者
お酢って効力があるんですね。
田村 社長
お酢の中でも柿酢がやっぱり得意なんです。お客様の喜びは私たちの喜び。
お客様にこの商品がどう喜ばれているかを知ってもらわないと、商品への愛着や思い入れは生まれませんから。

「社長にとっての御社の仕事」について教えて下さい

吉田記者
最後に、田村社長にとって御社の仕事とは、どういうことでしょうか。
田村 社長
やっぱり社会を健康にする。世の中の人を健康にするということですね。
吉田記者
ありがとうございます。柿酢を通して、社会・世の中の人の健康に貢献するという大事な使命が御社のお仕事ですね。たくさんの質問にお答え頂きありがとうございました。

田村造酢株式会社情報

社名田村造酢株式会社
代表者田村 佑樹
所在地〒649-7113 和歌山県伊都郡かつらぎ町妙寺285
TEL0736-22-0058
HPhttps://tamura-kakisu.co.jp/

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